『ボタンの店』

 店中びっしりボタンが並んでいる。小さな狭い店のなかで、祖母はお店のおばさんと、しばし世間話をする。
 店の壁は引き出しで埋められて、天井までの隙間には、ボタンの箱が並んでいる。様々な色、形、きらきら。ただし全部ボタン、いま思えば、カラフルポップな色はなかった。全部おばさん向けだった。
 あの頃は、ずいぶん派手に見えたけど。自分で行きたい店に通い始めた頃に、古い店を思い出した。
 あのくすんだ狭い店にくらべて、この店といったら。夢のようなキラキラ、ふわふわ、色や柄のバリエーション、レースのリボン、チェーンもキットも選び放題。うかれて胸はときめいた。作業スペースもある。明るい広い場所で、邪魔されず、熱中できる。
 何度か足を運び、ささやかな散財を繰り返すと、冷静にもなってきた。あそこにはあって、ここにはないものがたくさんある。きっと流通経路が違うのだろう。
 私が好きなものは、欲しいと思うのは、ここに全部あるはずだ。あの古い店に行っても、私が買えるようなものはない。ボタンは安くない。印象に残るボタンは、それなりの値段がする。
 久しぶりに、その店の前を通りかかった。祖母はだいぶ前に亡くなっていた。店のおばあさんは、あの頃と同じ人か分からない。相変わらず店は、天井まで隙間無く、混沌としたボタンに囲まれて、まるで百年たった宝箱のようだが、のぞく時間も勇気もなかった。
 幼い頃の私は、足元から頭のずっと上まで並ぶボタンを、何度も下から上へ見上げていた。祖母とおばさんと、店に居合わせたしらない人たちは、笑ったり、ときには渋い顔をして、おしゃべりしていた。
 
 

書いていると眠くなる癖

 私は書くことが好きだ。好きには違いない。書いているとすごく楽しいときがある。絵を描く人は、たいてい絵が好きで、絵を描いているときは楽しいだろう。それと同じだ。
 でもうまく描けないとき、思うように描けないときは、いらいらして嫌な気持ちになる。私は書いているとき、うまくいかないとき、全然どうにもこうにもならなくて、気がついたらはてなツイッターを見ているとき、嫌な気持ちになる前に、すうっと眠くなる。
 ずっとたくさんどんどん書いていたいのに、睡魔がやってきて、眠くなる。

包丁を研ぐ

 包丁を研ぐのは、実は意外と時間がかかる。砥石に水を含ませなければならないからだ。砥石を見ずにいれると、「プクプクプクプク…」と小さな音をたてて気泡がたくさんでてくる。それが出てこなくなるまで待つ。
 頻繁に研いでいれば、そんなに時間はかからないのかもしれないが、ちょっと面倒くさがって、いつもちょっと間があいてしまうので、ちょっと手間取ってしまう。
 この「ちょっと」が生活のクオリティを下げる。
 包丁の研ぎ方は、箱の裏に書いてある説明だけが頼りなので、正しいのかどうかわからない。研ぎおわったあとは、切れるようにはなっているけれど、うまいひとがやったら、もっとスパァと切れるんじゃないかと思う。
 包丁は全体を三から四分割して、表裏同じように同じ回数研ぐのが良い。数を数えているが、時々わからなくなる。刃物を扱っているのでそこに集中していなければならない。テレビを見ながらできる作業ではない。しかし単純作業なので、正直飽きる。いやそんなことを言っているから低クオリティになってしまうのだ。もっともっと観察して注意深くやるべきだ。何かを。そこはよくわかっていない。

ル・クルーゼのグラタン皿

 ル・クルーゼの鍋は高い。憧れているけど買えない。
 でもセールをやっていた。季節商品は安くなるようである。(次の同じ時期になったら、しばらくおなじ物がでてくるらしい。)最初に目に入ったのは、ル・クルーゼぽいらしい仕様の黄色っぽい鍋だったが、その後ろに、いろんなお皿があって、グラタン皿があった。
 我が家にあるグラタン皿は、透明な耐熱ガラス。悪くはないのだが、背の高さが低くて、びろっと薄く広がっているふうなのである。ラザニアを作ったときは、アルミホイルの器を作った。それはそれで良かったのだが。だが、もうちょっと深いお皿も欲しいと、ずっと思っていた。粗雑なのでバッファが欲しいのだ。
 グラタン皿の色はオレンジと緑の二種類があった。少し迷ったけど、オレンジを買った。家で包みを開いても、心うきうきスパーク。かわいくて楽しい。使い心地はまだこれから。
 そもそもオーブンを使った料理に憧れている。しかし、実はどれもカロリーが高いような。

英語教育は高校から

 英語教育は、ネイティブスピーカーをやとえるなら小学校低学年で少し、あとは高校から選択制で良い。大学受験にあるならやらざるをえない。短期間でガツッとたたき込んだほうがいい。だらだら無理矢理みんなにやらせるから、変な発音がすり込まれるし、何よりも英語嫌いの子供が育つ。
 英語はほとんどの人が「要らない」と思っているけど、いつ必要になるかは、誰の人生でもわからない。そのときに、「嫌い」「苦手」があると、邪魔すぎる。
 ネイティブスピーカーを確保できないなら、もう、やらない。あるいは、セサミストリートを見せるだけ。
 高校から英語をはじめても、中学三年間分を余裕でまかなえるはず。週に何時間あったっけなぁ。中学は、地理や地学や気象をもっとやれー。暗記じゃなくてちゃんと教えて。