書いていると眠くなる癖

 私は書くことが好きだ。好きには違いない。書いているとすごく楽しいときがある。絵を描く人は、たいてい絵が好きで、絵を描いているときは楽しいだろう。それと同じだ。
 でもうまく描けないとき、思うように描けないときは、いらいらして嫌な気持ちになる。私は書いているとき、うまくいかないとき、全然どうにもこうにもならなくて、気がついたらはてなツイッターを見ているとき、嫌な気持ちになる前に、すうっと眠くなる。
 ずっとたくさんどんどん書いていたいのに、睡魔がやってきて、眠くなる。

包丁を研ぐ

 包丁を研ぐのは、実は意外と時間がかかる。砥石に水を含ませなければならないからだ。砥石を見ずにいれると、「プクプクプクプク…」と小さな音をたてて気泡がたくさんでてくる。それが出てこなくなるまで待つ。
 頻繁に研いでいれば、そんなに時間はかからないのかもしれないが、ちょっと面倒くさがって、いつもちょっと間があいてしまうので、ちょっと手間取ってしまう。
 この「ちょっと」が生活のクオリティを下げる。
 包丁の研ぎ方は、箱の裏に書いてある説明だけが頼りなので、正しいのかどうかわからない。研ぎおわったあとは、切れるようにはなっているけれど、うまいひとがやったら、もっとスパァと切れるんじゃないかと思う。
 包丁は全体を三から四分割して、表裏同じように同じ回数研ぐのが良い。数を数えているが、時々わからなくなる。刃物を扱っているのでそこに集中していなければならない。テレビを見ながらできる作業ではない。しかし単純作業なので、正直飽きる。いやそんなことを言っているから低クオリティになってしまうのだ。もっともっと観察して注意深くやるべきだ。何かを。そこはよくわかっていない。

ル・クルーゼのグラタン皿

 ル・クルーゼの鍋は高い。憧れているけど買えない。
 でもセールをやっていた。季節商品は安くなるようである。(次の同じ時期になったら、しばらくおなじ物がでてくるらしい。)最初に目に入ったのは、ル・クルーゼぽいらしい仕様の黄色っぽい鍋だったが、その後ろに、いろんなお皿があって、グラタン皿があった。
 我が家にあるグラタン皿は、透明な耐熱ガラス。悪くはないのだが、背の高さが低くて、びろっと薄く広がっているふうなのである。ラザニアを作ったときは、アルミホイルの器を作った。それはそれで良かったのだが。だが、もうちょっと深いお皿も欲しいと、ずっと思っていた。粗雑なのでバッファが欲しいのだ。
 グラタン皿の色はオレンジと緑の二種類があった。少し迷ったけど、オレンジを買った。家で包みを開いても、心うきうきスパーク。かわいくて楽しい。使い心地はまだこれから。
 そもそもオーブンを使った料理に憧れている。しかし、実はどれもカロリーが高いような。

英語教育は高校から

 英語教育は、ネイティブスピーカーをやとえるなら小学校低学年で少し、あとは高校から選択制で良い。大学受験にあるならやらざるをえない。短期間でガツッとたたき込んだほうがいい。だらだら無理矢理みんなにやらせるから、変な発音がすり込まれるし、何よりも英語嫌いの子供が育つ。
 英語はほとんどの人が「要らない」と思っているけど、いつ必要になるかは、誰の人生でもわからない。そのときに、「嫌い」「苦手」があると、邪魔すぎる。
 ネイティブスピーカーを確保できないなら、もう、やらない。あるいは、セサミストリートを見せるだけ。
 高校から英語をはじめても、中学三年間分を余裕でまかなえるはず。週に何時間あったっけなぁ。中学は、地理や地学や気象をもっとやれー。暗記じゃなくてちゃんと教えて。

それくらいのもの自分にも書ける

 小説を読んでいて、そんなふうに思うことはほとんどない。
 話題になっているブログやネタサイトの記事を見ると、それくらいのもの自分にも書けるわぁと、思っているような感じになることはある。何故「感じ」なのかというと、実際に書けるか?、というと、書けないからだ。
 どうして書けないのかというと、どんな程度の内容にせよ、とりあえず読めるような文章にみえるように書くのは、それなりの手間ひま気を使う。それらを使わない自分には、書けない。だから「自分にも書けるんじゃないかと思うわぁ」。
 それにしても、「これは本当におもしろいのか?、役に立つのか?、書いている意味があるのか?」と、けわしい顔になってしまうほど、内容が無かったりつまらなかったり薄かったりする文章はある。若い女性向けの、ちょっとしたお得情報などは、それがはなはだしい。こんなにくだらないものを書いている人は、いったいどんな気持ちなのだろう、と時々考える。しかし、それによって収入を得ている人は、書くことによって収入を得たいという人からすると、一歩踏み出しているので、「えらいなぁ」と思ってしまう。それが自分の書きたいものかというと、違うのは確かだが、書いていることによって対価を得ていることに夢見る乙女のように憧れる。