考えるとは何か

「自分なりに一生懸命考えた」というのは、悪いことではないが必ずしもよいことではない。
「考える」には2種類ある。自分が経験したことや知識や観察、情報収集の結果を、自分の中でまとめて考えて、口頭や文章、その他表現手段で、他人に伝える形にしたり、ある判断を下すこと。もう一つは、ある種のフレームワークを自分の中になじませて、それにそった考え方ができること。

 ある問題に取り組むときに、真っ白になって固まる人は、考え方が「自分なりに一生懸命考える」だけの人。目の前あるいは直前に、何かしらのヒントが示されているのに、それが次に自分が取り組む問題につながってこない。真っ白にならない人は、示されたヒントを取り込んで、あるいはわけもわからないまま何となく見よう見まねで、(だいたい最初は似ても似つかぬものだが)似た者を作ろうとする。

 両者どちらがいいのか、最初の時点ではまだわからない。固まる人は、ヒントをまねしていいんだよ、といえば、頭も手も動き出すかもしれないから。固まらない人は、まねばかりして自分で考えなければならないことを、考えないかもしれないから。

 ま、どこでつまづくか人それぞれってことですが。それつまづいているよというヒントもあまりださないスパルタ講師ってほんまに謎な人だ・・・。