本とテキスト

 紙の製本された『本』は危機に瀕していると思う。それは『本』を提供する側が、すべての本が本のままで有ってほしいと思っているからだと思う。『本』はそもそも貴重なものだ。長い歴史の間ずっとそうだったと思う。知識は大抵本の中に閉じ込められていて、膨大な書籍を持つという事は、知識を持つということだった。現在、知識は本から解放され、テキストだけとなってネットを漂い始めている。


 本を作っている誰しも、世の中に流通するすべての本に『本』である価値があるとは思っていないだろう。テキストしか必要でないものはテキストとして流通するべきだし、『本』であるものは『本』であるべきだ。出版業界が本という体裁にこだわっていると、もしかしたら全滅してしまうかもしれない。すべての日本語の本を滅亡させないために、はやく電子化して流通するシステムを作ったほうがいいんじゃないかなあと思うが、全然そんな気配がない。震災で多少状況が変わってくるかもしれないが。


 電子化してなおかつ著作者や出版社(?)が対価を得られる仕組み。出版社にとっては、それはどうころんでもいままでと同様な金額は得られないかもしれないが、「会社が存続する」「出版社を通して優れた作品を流通させる」を目標にどうにかしないと、本当につぶれそうだと思う。そういうふうには中の人は思わないのだろうか? でっかい会社はそんなに給料いい(35歳で450万超えていたらいいほうな)のかなあ。いったいどういう手で生き残っていこうと思っているんだろう。