程度が低いとか高いとかいう議論自体が程度が低い

とよく思う。
 web上でのどの言語はすぐれてるとか、程度が低いとか。
時間を割いてわざわざそんなことをweb上にしたためる、そのキーを打つ時間、思考する時間、情熱をどうして他のものにむけないのだろうか。
 何か問題提起をしたくて過激な言い方をするのかもしれないが、それは私のように一部を読んだだけでモウヨマネーという輩を量産するからやめたほうがいいのだ。長文だと特に。
 新聞を読む人のほうが年収が高いというやや眉唾な記事を最近読んで、気になっている。新聞は阿呆な新聞も多いとはいえ、文章はweb上の文章よりまだ推敲レベルは高い。web上の文章は洗練されていない、論点のはっきりしにくい、読みにくい文章が、過激な一部分をきっかけにして多くのアクセスを得てしまうことがある。

 ほとんどの人にとって、web上にかくものは、メモや日記程度がいい。ほとんどの人はそういうふうにつかっている。