高倉健の秘話というコンテンツ

 高倉健が亡くなっていた。もう密葬もすませていた。お別れ会とかしませんよ、なファックス流して。しょうがないので、テレビは「秘話」を流しまくる。どうも「秘話」ばっかり。

 どうしてテレビが健さんの秘話ばかり流すのか、と考えたが、それは高倉健が「映画の人」だからだ。わかりやすい、キャズムを越えまくったころの人気のピークは、おそらく一九七〇年代、黄色いハンカチ以前だと思われる。それ以前もそれ以降も、テレビドラマの仕事はほとんどでていない。Wikipediaに記載があるのはたった五つ。

 人柄や、心温まるエピソードを語るのは、故人を偲ぶにはよいと思うが、名のある俳優なのだから、作品や映画、演技がどうすばらしかったか「も」語るべきだ。仕事の評価はろくにない。作品紹介は、黄色いハンカチのネタばれ映像をがんがんに流すだけ。

 高倉健は、テレビの人ではない。映画を愛して、映画の世界で生きた人のはずだ。テレビは映画をたたきのめして成長してきた。テレビは、高倉健の映画人としての業績をまともに評価することはできないのだ。

 テレビは「映画を見ろ」なんて言えない。高倉健ならこれを見ろ!、と本当に良い作品をきちんと紹介することが、映画俳優を偲ぶもっともまともな方法だと思うが、テレビはそんなことできない。変な話だ。

 死はその人の業績を思い出す。これを機会に、「本当にそんなにすごいの?」と、昔の作品を見る若い世代がいるかもしれない。そこで衝撃をうけたら、そこから本当に俳優高倉健は永遠の存在になる。