「好きな服」はアニエスベーだった。

今週のお題「好きな服」
 一時期、アニエスベーにはまっていた。二十代の前半、ほとんどはじめて、自分で稼いだお金で自分の服を買うようになって、買うようになっていた。価格は安くない。だがものすごいデザインでなければ、一度買えば長く着られる。かなり体型が許さなくなってきているが、冬物なら十年以上持っているものもある。立て続けに買った時期に、呼ばれておしゃべりしにいった。
 いったらすごいオシャレなひとばかりで、自分で自分にどんびきしたが。三人ぐらいと、調査会社のおばさんの四人。ホニャラカはどう?、と商品についてきかれたら、かなり適当に好き勝手に言う。それでお礼もとくになかったが、何だか勝手に喜んでいた。
 買わなくなったのは、黒ばかりを着てくるAさんが会社に入ってきたせいだ。アニエスベーはやはり黒が多い。とてもデザイン性が高いけれど、会社に着ていくのには、少し普通の服になる。Aさんは本当にいうつも同じような格好をしていて、黒を着ていた。席が近くなり、同じような色が並んでしまう。そこらへんから、黒を着ること、アニエスベーを着ることはあきらめて、買わなくなった。Aさんが会社を去って、買えるようになったときには、自分がすっかり太っていた。
 アニエスベーはやはり、痩せているほうが似合う。年齢は問わないのだが、ほっそりした女性のほうが似合う。十一号も展開しているが、店員さんには、十一号がぎりぎりで着るつもりかよ、という視線をされる。本当に。自分は九号の体格なので、肉がついたからといって十一号を着てもおかしい。十一号は、身長や骨格がそれにあっている人が着るものなのだ。だから九号が入る体型に戻らないといけない。
 もう一度着られるようになりたいなぁ、とは思うけど、なかなか難しい。時々無理して十一号を買って失敗している。

書き終えること、書き続けることの困難さ

 第一ハードルがまったくクリアできない。一枚も絵を描ききっていない絵描きみたいなものだ。一つの「完」もない。

 最後に書き上げたのはいつだろうか、もう思い出せないくらい前。小説家になりたいとか、そんな寝言をいう以前のところに、ずっと居る。

 遠く遠く。はるか遠く。

『ボタンの店』

 店中びっしりボタンが並んでいる。小さな狭い店のなかで、祖母はお店のおばさんと、しばし世間話をする。
 店の壁は引き出しで埋められて、天井までの隙間には、ボタンの箱が並んでいる。様々な色、形、きらきら。ただし全部ボタン、いま思えば、カラフルポップな色はなかった。全部おばさん向けだった。
 あの頃は、ずいぶん派手に見えたけど。自分で行きたい店に通い始めた頃に、古い店を思い出した。
 あのくすんだ狭い店にくらべて、この店といったら。夢のようなキラキラ、ふわふわ、色や柄のバリエーション、レースのリボン、チェーンもキットも選び放題。うかれて胸はときめいた。作業スペースもある。明るい広い場所で、邪魔されず、熱中できる。
 何度か足を運び、ささやかな散財を繰り返すと、冷静にもなってきた。あそこにはあって、ここにはないものがたくさんある。きっと流通経路が違うのだろう。
 私が好きなものは、欲しいと思うのは、ここに全部あるはずだ。あの古い店に行っても、私が買えるようなものはない。ボタンは安くない。印象に残るボタンは、それなりの値段がする。
 久しぶりに、その店の前を通りかかった。祖母はだいぶ前に亡くなっていた。店のおばあさんは、あの頃と同じ人か分からない。相変わらず店は、天井まで隙間無く、混沌としたボタンに囲まれて、まるで百年たった宝箱のようだが、のぞく時間も勇気もなかった。
 幼い頃の私は、足元から頭のずっと上まで並ぶボタンを、何度も下から上へ見上げていた。祖母とおばさんと、店に居合わせたしらない人たちは、笑ったり、ときには渋い顔をして、おしゃべりしていた。
 
 

書いていると眠くなる癖

 私は書くことが好きだ。好きには違いない。書いているとすごく楽しいときがある。絵を描く人は、たいてい絵が好きで、絵を描いているときは楽しいだろう。それと同じだ。
 でもうまく描けないとき、思うように描けないときは、いらいらして嫌な気持ちになる。私は書いているとき、うまくいかないとき、全然どうにもこうにもならなくて、気がついたらはてなツイッターを見ているとき、嫌な気持ちになる前に、すうっと眠くなる。
 ずっとたくさんどんどん書いていたいのに、睡魔がやってきて、眠くなる。

包丁を研ぐ

 包丁を研ぐのは、実は意外と時間がかかる。砥石に水を含ませなければならないからだ。砥石を見ずにいれると、「プクプクプクプク…」と小さな音をたてて気泡がたくさんでてくる。それが出てこなくなるまで待つ。
 頻繁に研いでいれば、そんなに時間はかからないのかもしれないが、ちょっと面倒くさがって、いつもちょっと間があいてしまうので、ちょっと手間取ってしまう。
 この「ちょっと」が生活のクオリティを下げる。
 包丁の研ぎ方は、箱の裏に書いてある説明だけが頼りなので、正しいのかどうかわからない。研ぎおわったあとは、切れるようにはなっているけれど、うまいひとがやったら、もっとスパァと切れるんじゃないかと思う。
 包丁は全体を三から四分割して、表裏同じように同じ回数研ぐのが良い。数を数えているが、時々わからなくなる。刃物を扱っているのでそこに集中していなければならない。テレビを見ながらできる作業ではない。しかし単純作業なので、正直飽きる。いやそんなことを言っているから低クオリティになってしまうのだ。もっともっと観察して注意深くやるべきだ。何かを。そこはよくわかっていない。