又吉のインタビューを読んで背筋が

 今週のお題「ゾクッとする話」

『火花』を読んで、自然と作者の記事やインタビューが目に入るようになってしまった。気軽に斜め読みして、ゾクッと背中が寒くなる。又吉が幽霊みたいで怖いから、ではない。自分は彼より五つぐらい年上だが、何も、なあんにも積み重ねてこなかった。お笑いのために、大好きな小説のために、こつこつと努力を続けてきた彼の生き方に、圧倒されて、自分のからっぽさに寒気がする、めまいがする、気が遠くなる。
 もしかして、四十歳で自覚できたのは、幸せではないのか?、と無理に考えてみる。分からないまま、自分が何かを積み重ねてきたような人間のつもりで生きているのは、ずっとみっともなく、愚かにみえたことだろう。
 しかし自覚ができたからといって、それで自分の何かがかわるわけではない。言動、行動。すべて「何もない」という範囲でしかないわけだから。カラカラと乾いて回る歯車の音も、もう聞き飽きてしまった。
 絶望するほどの何かもない。
 まだ四十だとも言える。たいていのことがこれから始められる。たとえ六十で死んでも、二十年ある。先長い。長すぎる。人生を安易を投げ出すほどのものも、何もない。
 これから何をこつこつ積み上げていけるのか、それとも二十年後に同じようにゾクッとしているのか。前者でいたい。なんでもいいから、薄く貯めてみたい。